「和の精神」に潜む欺瞞

こうやって書くと上記記事の主人を責めているようだけど、自分が記事を読んで第三者的に無責任に感じた感想は「奥さんざまあwww」というものであるし、あと、私はけっこうこの「和の精神」が好きである。いや好きというか、日本人としてもう完全に身についてしまって、それを無視して振舞うのに相当の精神力を要する程。


よく考え事をしていて考えるのが、この「和の精神」の欺瞞。「そんな気を使いまくって付き合うより本音をバンバンぶつけあって付き合うのが楽じゃん」とかいう簡単なことではなく、これが、あえて悪く言えば、「親切の押し売り」だよなぁ、と。思うのですよ。
優しく、わがままも聞いてあげて、こちらはわがままは言わず、怒らない。そして、「これを相手にも無言で要求する」。「こっちが親切にするんだからそっちもこっちに親切にしろよ?あぁ〜ん?」という事。元々それを求めていない、その取引の形が分からない、または、「必要以上に押し付けられる」と、相手はこの「親切」というアドバンテージをどう処理するでしょうか?


1. 「親切」をもらったのだから同じくらいの「親切」を相手に返そう。 ⇒ 取引成立。
2. 「親切」をもらった。ラッキー!
この 2. が「ラッキー!」で済めばいいのだけど、これがずっと続くとどうなるでしょうか?
「自分は偉いからこの親切を受けて当然なのだ」「相手が偉くない(=卑)からこの親切を受けて当然なのだ」という風に、この「アドバンテージを消化」するようになってしまうのです。
この場合どっちなのかは分かりませんが、というか二者間のバランスで言えばどっちも同じですな、主人は奥さんに限りなく軽く見られ、会話無し、コミュニケーションは舌打ちのみ、食事は冷凍食品、という限りなく卑な扱いを受けるようになってしまったのです。


そして、卑な立場になってしまったからには、もう何を言っても、何を話しても、まともに聞いてもらえません。対等ではないのですから。


3. 過剰な「親切」は不要なのでいりません。この人付き合いづらいなぁ。
友達がいない A 君がいます。 A 君はみんなと仲良くなりたいので、みんなに過剰に親切にします。そしてこの取引の形が良く分かってる人は、「あぁ、うん、ありがと。」とだけ言って離れて行きます。「親切の押し売り」だからです。俺の事です。(あああ)
友達ってのは、こういう「親切」だとか、「情報」「会話」「肉体」などを、「等価交換」しあう関係の事です。自分が余計に払うからそっちも余計に払えよ、というのは押し売りであって、友達ではありません。 2. のように卑と見られるか、 3. のように離れられるかです。というか、この、 3. のようにそれを感じて離れられるような人を、私は好ましいと思います。俺友達いねぇけどな!