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(´・ω・`)アイマス2どうしてこうなった
以前
イン殺 - xx
の g:neo:id:xx-internet さんが 2010-01-20 - イン殺 - xx の日記で
だとか宣ってた事があったがそれを見てハハッワロスと思っていた頃がかわいいものであった、幸せだったなぁハハハと思えるようなこの事態。
ニコマスはどうなるのだ。
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改めてドラゴンボール読んでみると、
26 巻 : 真ん中で悟空 vs. フリーザ開始
27 巻 : 超サイヤ人化
28 巻 : 決着。フリーザとコルド大王来訪、トランクス登場。悟空帰還、人造人間 19 号、 20 号登場
29 巻 : 悟空破れる、ベジータ超サイヤ人化。人造人間 17 号、 18 号登場
30 巻 : 16 号、セル登場
31 巻 : 神コロさん、セル第二形態
32 巻 : 超ベジータ、セル完全体
33 巻 : セルゲーム開始まで
34 巻 : セルゲーム、御飯覚醒
35 巻 : フルボッコ、復活、決着
以外と流れ早いな〜と思うのだけど。二冊飛ばしたら何が何だか全く分からなくなる程度には。
今のジャンプ漫画はダラダラ同じバトルばっかやってる印象があるのだけど、やっぱりよく言われる、引き延ばしの弊害ってやつなのかね。
または漫画の時間間隔感覚が変化してきてるとか。
ただ、ブリーチだけは引き延ばし 全 許 容 ですわ。
じゃあどうすりゃよかったのよ
この奥さんがこの「親切」をちゃんと返してあげられていれば、円満な家庭生活ですんだのかもしれないですが、「親切」をそのまま受け取るだけに甘んじていると……そういえばスレ内でこんな事書いてましたね。
人って地獄に馴れる事はなくても快楽にはあっと言う間に馴れちゃうんだよね
これ読んだ時すげぇなぁと思いました。
「和の精神」とかじゃなくパワーゲームでいくしかなかったんじゃないでしょうか。扱いが悪くなってきたら(=自分の立場が低くなってきたら)、怒る。この「怒る」ってのも簡単じゃない、相手は自分をナメてるのだから怒ったって全然怖がらない、もう威圧、精神的に追い詰める、駆け引きをする。う〜ん嫌だ。というか、これ書いてて DV 以外の何者でもない。この「優しい」「怒る」のバランスを普段からうまく取れてれば良かったんだけどね。
これ書いたら色んな人から怒られるような気もするけど、あえて書いてみる。
母親と話してて聞いた話。以前、何泊か旅行に行って、帰った時。疲れてたのか、二日続けて寝坊しちゃったらしいのね。親父は一人ではなかなか起きれない人で、会社には……遅れたのかな?そしたら二日目の朝、寝てる部屋の前の壁にクリスタルガラスの灰皿投げつけたらしいのよ。壁凹んでたし、ガラス砕け散るし。「土下座して謝ったわよ」、って言ってました。うーん、これやっぱ怒られるかなぁ。
これは極端な例としても(親父は普段は優しいしギャグも飛ばすしよく笑います)、こういう、失策をした場合威圧してパワーバランスを保つ、とかは必要だと思うんですよ。精神的な面でね。
これも書いたら怒られそうだなぁ。例え悪いけど、「犬に躾するようなもんです」とかさ。うわあ。
動物に例えるな、とか怒られそうだけど、人間だって動物じゃんねー。
書き疲れたのでここまで。
「和の精神」に潜む欺瞞
こうやって書くと上記記事の主人を責めているようだけど、自分が記事を読んで第三者的に無責任に感じた感想は「奥さんざまあwww」というものであるし、あと、私はけっこうこの「和の精神」が好きである。いや好きというか、日本人としてもう完全に身についてしまって、それを無視して振舞うのに相当の精神力を要する程。
よく考え事をしていて考えるのが、この「和の精神」の欺瞞。「そんな気を使いまくって付き合うより本音をバンバンぶつけあって付き合うのが楽じゃん」とかいう簡単なことではなく、これが、あえて悪く言えば、「親切の押し売り」だよなぁ、と。思うのですよ。
優しく、わがままも聞いてあげて、こちらはわがままは言わず、怒らない。そして、「これを相手にも無言で要求する」。「こっちが親切にするんだからそっちもこっちに親切にしろよ?あぁ〜ん?」という事。元々それを求めていない、その取引の形が分からない、または、「必要以上に押し付けられる」と、相手はこの「親切」というアドバンテージをどう処理するでしょうか?
1. 「親切」をもらったのだから同じくらいの「親切」を相手に返そう。 ⇒ 取引成立。
2. 「親切」をもらった。ラッキー!
この 2. が「ラッキー!」で済めばいいのだけど、これがずっと続くとどうなるでしょうか?
「自分は偉いからこの親切を受けて当然なのだ」「相手が偉くない(=卑)からこの親切を受けて当然なのだ」という風に、この「アドバンテージを消化」するようになってしまうのです。
この場合どっちなのかは分かりませんが、というか二者間のバランスで言えばどっちも同じですな、主人は奥さんに限りなく軽く見られ、会話無し、コミュニケーションは舌打ちのみ、食事は冷凍食品、という限りなく卑な扱いを受けるようになってしまったのです。
そして、卑な立場になってしまったからには、もう何を言っても、何を話しても、まともに聞いてもらえません。対等ではないのですから。
3. 過剰な「親切」は不要なのでいりません。この人付き合いづらいなぁ。
友達がいない A 君がいます。 A 君はみんなと仲良くなりたいので、みんなに過剰に親切にします。そしてこの取引の形が良く分かってる人は、「あぁ、うん、ありがと。」とだけ言って離れて行きます。「親切の押し売り」だからです。俺の事です。(あああ)
友達ってのは、こういう「親切」だとか、「情報」「会話」「肉体」などを、「等価交換」しあう関係の事です。自分が余計に払うからそっちも余計に払えよ、というのは押し売りであって、友達ではありません。 2. のように卑と見られるか、 3. のように離れられるかです。というか、この、 3. のようにそれを感じて離れられるような人を、私は好ましいと思います。俺友達いねぇけどな!
日本的な。ある意味あまりにも日本的な。
概要。
45 歳の男性。妻と娘にまったく口をきいてもらえず、舌打ちと冷凍食品だけの日々。
それにいい加減キレて離婚。自由って素晴らしい。
このコピペ思い出した。
チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、いままで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。
これは、昭和十六(一九四一)年十二月十日、マレー半島クァンタンの沖合いで、イギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈されたときの日記だが、チャーチルは、これによってイギリスはシンガポールを失い、インドでも大英帝国の威信を失うのではないかと心配しながら書いている。
チャーチルは、「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」と書いている。つまり、日本は相手に礼儀を尽くしているだけで外交をしていない、外交はかけひきのゲームであって誠心誠意では困る、ということらしい。
http://mechag.asks.jp/187345.html
つまり世に言われる「和の精神」であり、こちらが気を使い、優しく譲歩すれば、相手も同じように気を使って接してくれて人間関係は円滑に進む、という事。空気を読む、とかも。
このコピペ、世界ではそんな「和の精神」だの遠慮だの気を使うだの関係ない怖い人達が、ギリギリの駆け引き、策謀、パワーゲームを行っていたのに(そしてそれをある意味楽しんでいたのに)、日本人は「こちらが譲歩すればあちらも気を使って別の譲歩をしてくれたりするであろう」という思い込みでそこに参加。当然他国は「戦力、国力的に弱いから受け入れるのだろう、そうでなければ反論して落しどころを探るはずだ(そこが外交の面白い所だ)。」と思っている。そしてどんどん無理を言われて日本は「こんなにこちらが気を使ったのになんてひどい事を言うんだ!戦争だ!」と爆発する。大体アメリカなど外国は「日本は普段は大人しいが、ある点を超えると急に凶暴的になる二面性がある。頭がおかしいのではないか。」とか思っている。
これは日本は大陸の驚異から比較的安全であった島国であって、とりあえずのなぁなぁのまとまりで天皇を中心に建国された国だから、という民族性のようなものであって、大陸のように国境を超えていくつもの敵国と相対している状況では「和の精神」「なぁなぁ」どころではなく「クロかシロか」の非常にシリアスなやり取りの世界であって、こちらが世界の当たり前であって常識なのである。
つまりこういう、圧力、驚異などで人間関係を縛るのではなく、こちらが遠慮するから、優しくするから〜という「和の精神」で接して、相手がそれに甘んじているとある時(上記の記事だと、この日まで我慢する、と決めていた誕生日にも普段とまったく変わらない舌打ちだけだった)堪忍袋の緒が切れて「離婚だ!」と急に爆発する。
これが、「あぁいかにも日本人だなぁ。」と私は思ったのでした。