日本的な。ある意味あまりにも日本的な。

概要。
45 歳の男性。妻と娘にまったく口をきいてもらえず、舌打ちと冷凍食品だけの日々。
それにいい加減キレて離婚。自由って素晴らしい。


このコピペ思い出した。

チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。


日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、いままで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。


これは、昭和十六(一九四一)年十二月十日、マレー半島クァンタンの沖合いで、イギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈されたときの日記だが、チャーチルは、これによってイギリスはシンガポールを失い、インドでも大英帝国の威信を失うのではないかと心配しながら書いている。


チャーチルは、「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」と書いている。つまり、日本は相手に礼儀を尽くしているだけで外交をしていない、外交はかけひきのゲームであって誠心誠意では困る、ということらしい。

http://mechag.asks.jp/187345.html


つまり世に言われる「和の精神」であり、こちらが気を使い、優しく譲歩すれば、相手も同じように気を使って接してくれて人間関係は円滑に進む、という事。空気を読む、とかも。
このコピペ、世界ではそんな「和の精神」だの遠慮だの気を使うだの関係ない怖い人達が、ギリギリの駆け引き、策謀、パワーゲームを行っていたのに(そしてそれをある意味楽しんでいたのに)、日本人は「こちらが譲歩すればあちらも気を使って別の譲歩をしてくれたりするであろう」という思い込みでそこに参加。当然他国は「戦力、国力的に弱いから受け入れるのだろう、そうでなければ反論して落しどころを探るはずだ(そこが外交の面白い所だ)。」と思っている。そしてどんどん無理を言われて日本は「こんなにこちらが気を使ったのになんてひどい事を言うんだ!戦争だ!」と爆発する。大体アメリカなど外国は「日本は普段は大人しいが、ある点を超えると急に凶暴的になる二面性がある。頭がおかしいのではないか。」とか思っている。
これは日本は大陸の驚異から比較的安全であった島国であって、とりあえずのなぁなぁのまとまりで天皇を中心に建国された国だから、という民族性のようなものであって、大陸のように国境を超えていくつもの敵国と相対している状況では「和の精神」「なぁなぁ」どころではなく「クロシロか」の非常にシリアスなやり取りの世界であって、こちらが世界の当たり前であって常識なのである。


つまりこういう、圧力、驚異などで人間関係を縛るのではなく、こちらが遠慮するから、優しくするから〜という「和の精神」で接して、相手がそれに甘んじているとある時(上記の記事だと、この日まで我慢する、と決めていた誕生日にも普段とまったく変わらない舌打ちだけだった)堪忍袋の緒が切れて「離婚だ!」と急に爆発する。
これが、「あぁいかにも日本人だなぁ。」と私は思ったのでした。