涼宮ハルヒの溜息 (角川文庫 角川スニーカー文庫) [ 谷川流 ]涼宮ハルヒの退屈 ※表示されている表紙とは異なる場合がございます。あらかじめご了承ください。 (角川文庫 角川スニーカー文庫) [ 谷川流 ]涼宮ハルヒの消失 ※表示されている表紙とは異なる場合がございます。あらかじめご了承ください。 (角川文庫 角川スニーカー文庫) [ 谷川流 ]


ネタバレ感想。
未読の方は注意。特に反転箇所はけっこうなネタバレです。




――高度に発達した萌え表現は芸術的感動と見分けがつかない。
かなり良かったです。


前ネットで適当に漫画を読んでいたらどこかの漫画で長門が泣くシーンでふと何かが心に引っかかったので、色々噂を聞く涼宮ハルヒの消失までをまとめて購入。
今日読み終わりました。まあ超今更ですけど。


作者、谷川流の手法は『核心を書かない』事であると思います。具体的に言うとツンだけを書いてデレは匂わせる程度にとどめる。
それによって読者は色々想像、推測し、考えを膨らませるわけです。
「対象について語り尽くさないでおけば、観客に考える可能性が残される。」「なんの努力もなく観客に与えられる結論など、不要である。」「思考が誕生するときの苦しみと喜びを、作家と分かち合うことの無い観客に、作家は何かを語ることができるだろうか」
とはタルコフスキーの言ですがその通りだと思います。語られることによってそのイメージはその一通りの言葉、文章に限定されてしまう。
まあ具体的に言いますと以下が表に出るツン分。

  • ハルヒはなんで不満口答えばかりするキョンSOS団に加えているのか?
  • なぜキョンはあれだけ不平不満をもらしながらSOS団に参加しているのか?

2つとも「聞くな馬鹿」とでも言われそうな愚問ですがそれに対するデレ分は最小限にしか語られない。そこに読者は思いを馳せるわけです。


読んでいくと若干タルかったんですよ。2作目の涼宮ハルヒの溜息を読み終わったとき「これつまんねえな」と思いましたからね。そこまでうまくもないし面白くもない。そこまで、というのはこれだけブームになったライトノベルの原作にしては、という程度です。普通に読む分としてはまあ楽しめたと思うんですが1作目に対して粗さが目立っていて期待ほどではなかったな、という程度。
3作目もそこまでは面白くなかったです。あとがきによると過去に発表したものもあるのでまあこんなものかという程度でした。夜にポツポツと読んで1冊3日位かかったんじゃないですかね?


そして4作目、涼宮ハルヒの溜息。今日ノンストップで数時間で読み終わりました。途中中断は一回CDを再生し直したのみ。それからはいつ音楽が切れたのかも覚えてません。
ネタバレ気味に言っちゃうとこの作ではデレ分がけっこう出てきます。
(ここから白文字)キョンがデレるし、ハルヒもデレる。ほんの少しのようですが今までからすると随分はっきりと書かれています。(ここまで)
2、3作目でおさえられていた分*1が吹っ飛びます。ではこの作品では上の谷川流の手法は姿を変えたのか?さにあらず。今回の『核心』というかテーマは長門にあります。
(ここから白文字)長門のツンと、最小限に匂わせるデレが書かれるのです。(ここまで)
もうね、何と言うかね、萌えてしまいました。読み終わった後頭の中がふわふわして顔が少しニヤニヤして部屋をうろうろ歩き回りましたからね。そうかこれが萌えか。
もうね、(ここから白文字)長門がなんであんな行動をしたのか、そしてそれになぜ脱出装置、一種の安全弁を設けたのか、ハルヒの能力無効化という目的がまず確かに第一ですよ。しかしじゃあなぜ自分だけ性格を変えたのか?そして何故それを選ばせたのか?しかもしかも長門はこうなる事を3年前から知ってたわけですよ。知っていながら行動に出てしまったわけですよ。ああもう!(ここまで)


今までイラストやアニメに萌える事が全くなかった*2俺ですがどうやら視覚表現ではなく文章表現の方に俺の萌えポイントがあったようです。ハルヒ2期を求める声であれだけ消失消失聞こえるのがなぜか分かった気がします。
まあ長門だの萌えだの真面目に言葉使っててしかも丁寧語で今の俺は気持ち悪いですが普通に小説としての物語もうまいと感じました。全体の流れ、表現、必然性、など。2,3作目とは雲泥の差だと思います。そして小説として完成度が高い上でこそ、感情移入がうまれるわけです。


まだ何か書く事があったような気がするんですが思い出せないので一旦登録します。

*1:2,3作目は最初のツンからツンツンへ表現が過剰になっていく。連作物の宿命か。

*2:好きな絵はたくさんあるけどそれと萌えとは違う気がする。というか違う。