BLEACH , ナルト , ONE PIECE について

この話を受けて今のジャンプ看板漫画について少しだけ書いてみます。

BLEACH

石田雨竜が仲間になって一護がソウルソサエティに向かう辺りから読まなくなったので詳しいことは分かりませんが、ジャンプ感想の噂をちらほら聞く感じと印象だけでは
『追い詰められた主人公、秘められた力が目覚めた!』
がずっと繰り返されてるような感じがしてます。違ってたらごめんなさい。

ナルト

中忍試験が終わった辺りから読まなくなったので詳しいことは分かりません。
ドラゴンボールと比べると、修行エピソードを大事にしてる感じがありますね。よく知らないんですけど。
読まなくなった理由は何か岸本先生が描くコマ割りが漫画ではなくアニメコンテ的になってきたというか、テンポが悪く感じるというか、 1 コマにフキダシが 2 つが一番読みやすいペースだと私は思うのですが、ナルトは 0.7 ぐらいのように感じるというか、中忍試験の頃は面白かったのになぁ。

ONE PIECE

読んでます。ワンピースはドラゴンボールでいう、修行シーンというものを描かない姿勢でいってますよね。『実力は実戦で磨かれていくものだ』という感じの。より現実的だと思います。

鳥山明も繰り返さない

以前書いた

を受けて。
ドラゴンボールの話でもします。


鳥山明も繰り返さないのです。ポイントポイントだけ書きます。
ドラゴンボールについての文章なんてみんなもう分かりきってる事だろうになぜ今更こんな当たり前のことを、と思われるかもしれませんが文章化してみるのもいいかなと思いまして。

怒りは繰り返さない

当たり前ですが孫悟空超サイヤ人の 1 〜 3
ベジータ、御飯は 1 〜 2 まで変身します。
この時、『怒りがきっかけ』で目覚めるのは 1 回までなのです。悟空、ベジータは 0 → 1 、御飯は 1 → 2 。
あとは修行でしか上げていきません。

設定は繰り返さない

フリーザ編で出た設定、『サイヤ人は死にかけてから復活するとパワーアップする』
これはフリーザ編でしょっちゅう発動してパワーバランスのシーソーゲームになりますが、セル編以降では特に触れられません。実は細かく発動はしてるのかもしれませんが言及されません。

パワーアップ方法も繰り返さない

フリーザ編は上記の『サイヤ人効果』。
(対フリーザ戦と)セル編は『怒りの目覚め』。
そしてブウ編では『ギミック』(フュージョン、老界王神のパワー、ポタラ)。


子ども時代は特に怒りでパワーが目覚めたりしてませんし(大猿にはなるか)、ブウ編でも怒りでパワーアップなんかもしてません。ここら辺は意外と見過ごされがちな気がします。


『重力修行』は全編を通して行われてますね。亀の甲羅、宇宙船の重力ルーム、精神と時の部屋鳥山明は重力に大して何か凄い思い入れがあるのでしょうか。
(完全に余談ですけど悟空の存在って「やまびと」ですよね。山窩というか。山で生まれ育った野人。隆慶一郎の『捨て童子・松平忠輝』に見られるようなロマン的な)
フリーザ一味にとってサイヤ人効果、セルにとって精神と時の部屋はチートですよね。アドバンテージがひどい。瀕死にしてくれるパートナー + 仙豆 or デンデ or 回復ルームで無限レベルアップ! なんと一日で一年分の修行が! ひどい。


ブウ編は色々と楽しいですよねー。「地球で闘っていたらいつの間にか物凄い強くなっちゃってました」展開やら、ぬるい学園ドラマやら、うさんくさい魔界やら界王神やら魔道士やらの人々やら、魔人ブウの造形やら、恐るべき子どもたち計画(ゴテンクス超サイヤ人 3 にショートカット)で性格が超ガキでピッコロさんが振り回されて、そしてなによりミスターサタンがいますし。サタン大好きですよ。
パワーアップにも怒りの目覚めが全く無くなり、フュージョンで 2 キャラが合体やら超サイヤ人 3 で顔自体変わったりとか、 Z ソードとかいうまたあやしげなアイテムが出たと思ったらあっけなく折れて、そしてまたうさんくさい老界王神が出たり、ポタラでまた違う合体パワーアップが出たり。
鳥山明は人外の造形が神、とよく言われますがこういうアイテム遊びも一流ですからゆるーく楽しめます。


何の話でしたっけ。
そうそう、こんな風にいい意味でコロコロと変わっていくのですよ。

アフロ・ディズニー面白いな

菊地成孔大谷能生『アフロ・ディズニー』読み始めた。面白いなコレ。
発売知った時や前評判やタイトルや実際に手に取って目次を眺めたときまで第一印象としてとにかく「今度は失敗作で面白くなさそう」と思ってて、なぜかというと菊地成孔ラジオなどでガンダムの知識やらアニメの話などに対して「いや全然詳しくないんですよスイマセン」と言い訳というか防衛線を張っていたのを聞いたことがある事で、最近はそういう『オタク毛嫌い』が一周して二周して無化されてきていて、古い、今更何言ってんだ、別に詳しかろうが詳しくなかろうがどうでもいいよ感があり、テーマに「オタク=黒人」なんて持ってきて下手に歪んだオタクサブカルに手を出さない方が、といらん心配をしていたんだけど。
あと冒頭部を読み初めてみると今までちょくちょく引用というか、さわりを引っ張ってきたラカンソシュールR.D.レインフロイト、等学術的要因をけっこうまともに扱うらしく理解が完全でないとはとてもとても言えないけども、世間的に見たらミュージシャン文筆家評論家である筆者がそれを正面から扱うのはやはり無理だろう、引用は大変楽しかったがこれは流石に専門家に任しといた方が、と思った。
のだが、今二章の半分辺りまで読み進めてるけど杞憂でした、やはり自信というか何かがある、と確信してから書いてる。受容の幼児化、て所が最高。
俺はあれですフロイトラカンソシュールも全然知らないけども、筒井康隆を読んでて岸田秀を読んでさえいれば十分脳内麻薬出せるんじゃないか。筒井康隆の『文学部唯野教授』を 30 回位読んで、岸田秀の『ものぐさ精神分析』『続・ものぐさ精神分析』他を 10 回ずつ読んでて良かった。
あとエイゼンシュテインについても大学の教養科目でたまたま、と言っていいだろうけど知ってるんだよね。ゴタールの映画は観たことはないけど噂のさわりだけみたいな感じで聞いた事あるような無いようなみたいな。
あと『M/Dマイルス・デューイ・デイヴィス III 世研究』は出版社のエスクァイアがつぶれたとか聞いたけどそんなに売れなかったのかしら。