全てはストレスだ 本稿

前回書いたとおりちょっとアレな考え方に支配されているので後から読み返すと支離滅裂な文章に見えると思うけどとりあえず吐き出してみる。
人間は本来やる気にあふれている筈なのだけど、時には全てに対してやる気がなかったり 無感動になったり 好きなことをしても楽しくなかったり 同じ間違いを繰り返してしまう時があって、これは全てストレスのせいである、という考え方。いや当たり前の事じゃんとか言わないで。
このストレスを受けるというのは自覚する事も難しくて、なぜかというと人間の思考部分の意識レベル以前の自我、超自我全体でストレスを受けるわけで、思考部分もストレスを受けた上での思考であるから。
そしてどういう時にストレスが溜まるかというと簡単に、自分が気に入らないことがあったときにストレスが溜まります。そしてこの定義がややこしいのだけど、ある性格、完全主義者や潔癖症、理想家などの人は『自分が思うような結果が出せない』ことに対してストレスを受けるわけで、つまり自分の理想が高ければ高いほどストレスを受けます。そして自分に対するストレスというのは自己嫌悪であるからきわめて解消しにくい。
ここでストレスとは何ぞやという事を考えてみます。ある動物実験で 2 匹のラットに対して片方にストレスを与えます。するとストレスを受けたほうのラットが早死にします。しかし、途中で食事を与えないようにし更に生活条件を悪くするとなんとストレスを受けた方のラットの方が長生きするのです。
この事から勝手に推測してみると、ストレスとは 外界に自分の気に入らない要因がある際、それに対して反応することを抑えるために自分の外界への壁を厚くする、自分の反応を鈍くするという事だと考えられます。
さて話は戻って、ストレスは自分のこころよい事、好きなことをすると減らす事ができます。例えば 美味しい料理を食べる、運動をする、好きな音楽や映画や本を見たり聞いたり読んだりする、人とおしゃべりをする、ゆったりと寝る、などなど。


しかし前述したとおりストレスがあまりにも多く溜まっているとき、外界の刺激に対して無反応化が進んでしまっている時は自分の好きなことに対しても無反応、無感動になってしまうことがあります。
TV などのコマーシャルで うつ病の見分け方、食事がおいしくない、などと言われるのはこれと関係があると思います。




とりあえず書いてみたけどこれ完結してるのかな。まいいや。これはとにかく自分の体験談と本の聞きかじりの知識から思いついた事で、自分は一時期全てに対してやる気が無く食っちゃ寝しており、なぜやる気が出ないんだ!「食事の質が悪いのではないか」と栄養学の本を読んで勉強したり「睡眠の質が悪いでは無いか」「運動不足が原因ではないか」などと無闇に各方面に手を出しましたけど特に効果は無く、その内学校、バイトにきちんと行くようになり自己嫌悪が消えてくると音楽や本がとにかく素晴らしく聞こえだして、今までの葛藤は何だったんだと目の覚める思いをしました。
それからは意識的に気をつけて なんか嫌だな という思いがあると色々なストレス解消法をためすようになりました。ひとつの方法だと飽きますし。自分の場合は筋トレや音楽、読書、バイトでの黙った手作業、甘い物を食べる、漫画を読む、など。人と話すのが苦手なので人と話すと逆にストレスがたまったりします。主に自己嫌悪で。「あんな面白くない答え方をしやがって」「あんな変なリアクションとりやがって」「もっと面白いこと喋れ馬鹿」など。自分に対して。でもこれは言うまでも無く理想が高いだけであって自分が駄目駄目だという事を意識すれば軽減されてくるような気がします。


上のような話を今日友達にしてみたら (話すの苦手なのでつっかえひっかえどもりながら。聞いてくれた友人感謝。) それはまあひとつの次元の話であって全部じゃないよね。と当然の感想をいただきました。そうですね。